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“Music has the power for good”

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のスタンリー・ドッズさん
東日本大震災の被災地を訪ねて、子どもたちと交流

​スタンリーさん相馬市での指導の様子(相馬市Youtubeチャンネルより)

 今年3月11日に「相馬子どもオーケストラ」がドイツへ渡り、ベートーヴェンの『運命』を有志の音楽家の方たちと演奏したとき、ベルリン・フィルのステージでタクトを振ってくださった、スタンリー・チャーミン(漢字表記:加明)・ドッズさん。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者であり、バイオリン奏者でもあります。

 スタンリーさんが3月11日の演奏会を指揮するに至ったのには、「相馬子どもオーケストラ」の発足へ向けてチャリテイーコンサートを開催してくれた「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」のハウバー博士と親しい友人であるという背景があります。ハウバー博士が「スタンリーさんこそ、東北の子どもたちとの共演をリードするにふさわしい」と白羽の矢を立て、その見立ては見事に的中。『運命』は日本とドイツを結び、子どもたちを大きく成長させてくれました。

 そのスタンリーさんが今回、岩手県大槌町と福島県相馬市を訪問し、子どもたちに音楽の指導をしてくださいました。また、スタンリーさんご自身がバイオリンを演奏する絵本の朗読会、『はなのすきなうし』も大槌町と相馬市の両地で開催。ドイツ公演に参加した子どもたちにとっては心待ちにしていたスタンリーさんとの再会、またはじめての子どもたちにとっても新しい世界への扉を開く機会となりました。

スタンリー先生のレッスン

 スタンリーさんが「相馬子どもオーケストラ」の練習室に入ると、子どもたちは楽器を弾いていた手を止め、顔をほころばせて椅子から立ち上がりました。半年ぶりの再会が相馬の子どもたちの地元で叶ったのです。挨拶のあと、ドボルザークの『新世界交響曲第4楽章』を中心にレッスンを早速スタート。ちょうど前日に14回目のお誕生日を迎えたバイオリンの隆行くんは、「スタンリーさんに再会できて、すごくうれしい。でも、会うだけで緊張してしまう」とドキドキしながらレッスンに臨みましたが、弓の持ち方や使う位置などを丁寧に指導してもらうと深い音が出るように。スタンリーさんの指導は、まさに1日遅れのお誕生日プレゼントだったようです。

 相馬の子どもたちは翌日も引き続き『新世界』と、チャイコフスキー作曲の『くるみ割り人形』を指導してもらいました。弓をチョコレートに見立て、それを仲よく分ける3兄弟に例えながら弓使いを示すなど、スタンリーさんの教え方には随所に工夫が見られます。「子どもたちが常に楽しく学べるように心がけています」とスタンリーさん。長時間にわたるレッスンにも関わらず、子どもたちは集中力を切らすことなく、新しい音の世界に引きこまれていました。

 一方、弦楽器教室がはじまって2年足らずの大槌町。今春赴任したばかりの新米教師、櫻井が年齢も習熟度もばらつきのある子どもたちをまとめるのに葛藤しています。同じ教室の中で、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』を自主練習している子もいれば、『きらきら星』を弾いている子も、バイオリンの弓をケースから取りだすのが精一杯という子もいて、限られたリソースでいかに子どもたちの成長を支えていくのかが課題です。スタンリーさんは各々練習している子どもたちの背後にそっと立つと、やけに急いでいたり途切れ途切れだったりする子どもたちの音に寄りそうようにバイオリンを弾きはじめました。すると、子どもたちは一瞬驚いたような顔をするものの、そのまま演奏を続け、次第に真剣な表情へと変わっていきました。スタンリーさんと一緒に音を紡ぐことに何かを見出したのかもしれません。

隆行くんにとって1日遅れの誕生日プレゼントとなったスタンリーさんのレッスン(FESJ/2016/Mihoko Nakagawa)

大槌の子どもに弓の持ち方から丁寧に教えるスタンリーさん(FESJ/2016/Mihoko Nakagawa)

朗読に合わせてフェルジナンドの様子を演奏するスタンリーさん

(FESJ/2016/Mihoko Nakagawa)

『はなのすきなうし』の朗読会

 『はなのすきなうし』は、闘牛として頭角をあらわすよりも、ただのんびりと花の匂いを嗅ぎ、その香りに身を委ねていることが何よりも好きな牛の話です。スタンリーさんがバイオリンの音色を響かせ、エル・システマジャパンのスタッフである渡辺が『はなのすきなうし』のストーリーを語りはじめると、大槌でも相馬でも子どもたちは静かに耳を澄ませました。

 

 よく日焼けしたサッカー少年の蓮くん(大槌・小6)は、「バイオリンは色々な音が出せてすごい」と感じたそうです。牛のフェルジナンドが花の匂いを気持ちよさそうに嗅いでいる音、男たちが闘牛用の強い牛を求めて忍びよる音、蜂がぶんぶんと飛ぶ音、フェルジナンドが蜂に刺されて暴れる音…。『はなのすきなうし』にはあらゆる音が出てきますが、スタンリーさんが弾くバイオリンを聴いていると、その情景が目の前に浮かびます。コントラバスの海人くん(相馬・小6)は、「あんなふうに音程を外さずに弾けたらいいな」と刺激を受けた様子。同じくコントラバスの幹太くん(相馬・中1)も「スタンリーさんはどんな音でも出せて、すごいと思った」と、演奏する楽器は違えども感じるところがあったようです。

被災地を訪ねて

 ドイツで相馬の子どもたちに出会い、子どもたちがどんな環境にいるのか知りたくなったという、スタンリーさん。実は、初来日は19歳のときに遡ります。日本各地を演奏旅行でまわり、そのときのあり余る感動を10ページもの手紙にしたためて家族に送ったそうです。そして現在、売れっ子の客演指揮者として、海外はもちろんのこと日本国内も飛びまわっていますが、大槌町と相馬市を訪問するのは今回が初めてです。

 

 スタンリーさんが大槌町に入ってまず驚いたのが、建物の壁に記された浸水レベルの高さでした。大槌町を襲った津波は13メートルほど。震災から5年の月日が流れ、今は一見平和な町のようですが、沿岸部では大規模なかさ上げ工事が進められています。そこはかつて住宅地でしたが、その面影はありません。高台にある城山公園から沿岸部とその向こうに見える海を一望し、震災前に撮影されたパノラマ写真と見比べると、大槌町の景色は震災で一変してしまったこと、そして復興プロセスは長い道のりであろうことが容易に想像できます。自然災害が一瞬にして奪い去った生活、そのあとに残された深い傷、そこから少しずつ立ち上がろうとしている人々。そういったものがストレートに胸に迫ってくる景色を前に、スタンリーさんはじっと無言で佇んでいました。

ベルリフィルハーモニーでのリハーサル。スタンリーさんのユーモラスな指導に
子どもたちもリラックス(FESJ/2016/Mariko Tagashira)

 相馬市では、原釜地区に建立された慰霊碑と『相馬市伝承鎮魂祈念館』を訪問。潮干狩りなどの長閑な原風景とは対照をなす、震災直後の様子を生々しく伝えるパネル写真を一枚、一枚、スタンリーさんは丁寧に見てまわりました。東日本大震災の甚大な被害はドイツのメディアでも大きく取り上げられたそうですが、実際に現場に足を運んでみると、スタンリーさんがそれまで抱いていたのは「情報や数字で一括りにされたイメージ」に過ぎなかったと言います。「被災者ひとりひとりに顔があり、経験があり、そして復興へ向かう強い意志と行動があります。不屈の精神は尊いものです。被災地へ来ると、そういったものがリアルに感じられます」と語ってくれました。

 

 スタンリーさんは、音楽には傷ついた心を癒し、人と人とを繋ぐ力があると信じています。また、音楽は自分の内なる声を聞く手助けをしてくれるそうです。「Music has the power for good 」音楽は世のため人のためになる力を永遠に持っている、という意味です。スタンリーさんに出会い、音楽というパワフルな贈りものをもらった大槌と相馬の子どもたちが、未来へ向かって力強く羽ばたいてくれることを願っています。

(文:仲川美穂子 エル・システマジャパン広報官)

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